コンテストシーズンが開幕しております。
スケートボードのコンテストって最近はどう見られているんですかね?僕はAJSAのコンテストMCをやらせてもらって20年くらいになりますが、はじめた当時と今のコンテストでは、参加する選手、スタッフ、セクション構成、なんか違いが大きすぎてどこがその変化の境界線なのか、とよく考えてますがハッキリとした境目がある訳でもなく、やはり「時代の流れ」ということなのでしょうか。AJSAの公式ページに1982年からのコンテストリザルツがありますのでお手すきの時にチェックすると色々流れがわかります。
コンテストシーンは80年代のコンテストシーン創世記からまずは最初のインフルエンサーのグループができます。アゴローちゃんやクリリンやディックマンやスラちゃんらが切り開いてきたシーンを土台に90年代になるとヨッピー、サトシ、アキーム、アキラ、ジェシーなどストリート育ちのライダー達がコンテストで結果を残していきます。スタッフもライダーも手探りで作り上げてきたシーンでした。スタッフは現地にキャンプ泊で会場でBBQをしていると、地方からヒッチハイクでやってきたライダー達が合流してくる、って熱い時代。この時代はスケートマーケット的には第二次ブームが下り坂になった頃。熟成したシーンからメディアを巻き込んでスターが生まれ、しばらくは彼らのうちの誰かがコンテストで勝つ流れ。メーカーや代理店もコンテストシーンを応援する気運があり、ライダー達はメーカーや代理店が出す営業車に乗り込んで、現地のスケート仲間の家に転がり込んでコンテストに参加するケースが多かった。94年くらいになるとブームは下火になり世の中的な煽りは減りつつも、本当にスケートボードが好きで続けてきたメンツ、そしてそれまでのシーンを変えていくだけのパワーがあるメンツがコンテストシーンに頭角を現します。それがNEWTYPEを中心としたいわゆる日本のnewschool世代。晋や徹や淳之介、関西ではハッシー、さかちゃん、アゴローちゃんやキャバ達がグッとシーンを支えておりました。その頃にはスタッフも相部屋でビジネスホテルに泊まれるようになりました。KIKS、早川ダイちゃん、ZIZOWや孝吉らも当時のシーンのキーマンでありました。九州ではアンギに藤武や中矢が居て、全国的にスケート的拠点がはっきりと存在して、街のインフルエンサーがローカルシーンをひっぱる構造でした。東京、大阪、福岡だけでなく、広島、名古屋、仙台、千葉などの都市でもシーンがかなり太くなってきた時代です。僕もAJSAのMCとして全国のコンテストに同行させてもらったことで、各地のシーンやライダー達と接することが多く、当時のシーンの盛り上がりは今とはまた別の熱い盛り上がりを感じました。インスタントではプロクラスでは慶太が、アマではアマちゃんやマサや中谷やカッツンが顔として全国のコンテストに参加して、数々のタイトルと成績を残してくれました。2000年あたりから少しメンツが変わってきます。大都市出身のライダー達に混じり、ここまでのシーンに影響を受けて、全国の色々な場所で研鑽を積んだライダーたちがコンテストシーンに現れます。また90年代中盤から後半のスター選手たちの後輩たちが先輩と一緒に代理店のバンに潜り込んでコンテストにやってくるようになります。さらに少し上の世代の復活組や重鎮が再度シーンにカムバックする流れもあって、これまでの同じメンツで順位を取り合う感じにちょっと変化が出てきました。今までシーンに出場しなかった選手たちが地方から集まり、キッズたちが成長してコンテストに照準を合わせたスキルを磨く。いつもコンテストに出れば必ず予選を突破していた選手たちが予選で敗退することも増えてきました。よりコンテストとしてのスタンスがハッキリとしてきた流れでした。ある人は「華がない」と言いました。またある人は「これでは実力は測れない」と言いました。個人的な感想になりますが、コンテストとはそもそもレギュレーションにのっとり、その枠の中で競うものです。色々なレギュレーションがありますが、AJSAで言えば5審3採。5人のジャッジの採点で最高点と最低点を省いた3名のジャッジの合計点がその選手の得点になります。スタッフ側としてはなるべく公平に、明確な基準を持ってコンテストを開催してます。なので、すべてのジャッジの採点がわかるようなリザルツを発表してますし、開催当日に悪天候やハプニングがあった場合も「より公平に」というところが判断基準になるケースがほとんどです。おっと脱線。
僕、いつかこの頃のメンツで「先輩クラス」のコンテストしたい。ビール飲みながらゲラゲラ笑って楽しめるコンテスト。いつかね。
ちょっとなにが言いたかったのかわからなくなってきましたが、コンテストへは「嫌な人は出る必要もない、来た人はレギュレーションを理解して自分なりの最高のパフォーマンスを狙う、そして全力で楽しむ」というスタンスで参加してもらえればと思います。参加選手はそれぞれに参加する意味や目標や価値観が違います。それ当たり前。下記にふれる先日の韓国のコンテストには日本からユリユリが参加しました。ユリユリのblogで語られるその思い。実のところ僕がコンテストシーンに参加させてもらった20年以上前から、コンテストに出場しよう、と思う選手の気持ちはずっと同じです。自分はどう評価されるのか、自分は自分を出し切ることができるのか、他の選手に比べてどうなのか、が最初のハードル。次には、どう滑ればいい評価を得られるか、ヤツに勝にはどうすればいいか、緊張にどう打ち勝つか、会場までの電車賃をどうするか、地方で寝る場所は見つかるか、とかが次のステップ。そして最終的には、僕はなんでコンテストなんかに出るのか、僕はどういう位置にいるのか、僕はなんで滑るのか、僕の役割はなんなのか、というところに到達します。そこからはフリースタイル。スケボー修行は一生終わりません。今も昔も選手は色々な考えでコンテストに臨みます。僕らスタッフも同じです。仕事を休んでジャッジにくる、家族や友人との約束よりコンテストを優先する、最先端の世界のシーンを理解してどうしていこうか考える。スタッフにしても色々な考え、スタンスでコンテストに臨んでいるのです。僕がコンテストに参加していく理由はそういう「場」がシーンに必要だと感じているから。スケボー屋なのもコラムとかblogとか書くのも、ライダーやローカルやお客さんをいっぱい巻き込むのも、すべてスケートボードに必要だと思っているから。まだまだスケートボードシーンの行く末を見続けたいのです。
あらら。前置き長いって。
最近では二つのコンテストに参加させていただきました。まずはこちら。elementが主催のMAKE IT COUNTであります。このコンテストは全国各地で開催される予選上位の選手を集めて、夏に行わる決勝戦で日本代表選手を選出し、バルセロナで開催される世界大会へ送り出そう、ってコンテスト。その関東予選が市川のUNION PARKで開催されたのです。今回はやっぱり上田の豪ちゃんにMCをお願いしました。豪ちゃんに会えるのもうれしいし、豪トークのクォリティーはハンパないです。「すべらない話」にスケーター枠で送り込みたい。ま、それはいいとして、スタッフの石井ちゃんにお願いして、普段よりかなり早めに鍵を開けてもらってスタッフ集合。今回はWEBの生中継なども入るので色々なスタッフが集まります。簡単な自己紹介から最後に豪から、ってことになりまして、豪ちゃん突然椅子に立ち上がり「じゃあ一本締めで!」と。これから始めるのにもう締めちゃう男らしさ。惚れました。豪ちゃん的には気合をいれる儀式だったのでしょう。今度から僕も真似します。
どんなイベントもスタッフはバタバタであります。会場設営から音響セッティングや中継準備や進行確認などなど。今回のディレクターのGSM今井ちゃんも頑張っておりました。
会場オープンから一瞬で選手達でいっぱいです。会場はそんなに大きくないので、もう練習時間のカオスっぷりがまたハンパないのです。
こんな感じね。このスケジュールに合わせて進行させていくのがMCの真のスキルなのです。「しゃべりが立つ」とか「盛り上げる」とかは基本的な部分で、実はこのタイムテーブルに沿ってイベントを進行させていく、っていうのが大事なスキルなのです。普通はタイムキーパーやディレクターがいるのですが、コンテストの規模によっては完全にMC頼りなケースも多いのが現実であります。
エントリー受付も一大事なのです。グループJAMなので、選手の組み合わせも非常に大事。公平に正確に出走順を決めていきます。
今回は約80名の参加選手にお集まり頂き、エントリー手続きだけでもかなりヘビー目でした。
会場内には協賛メーカーのブースなんかも出て、グッとお祭り感が高まります。気になる新製品もチェックできるのいいよね。
さて、予選のスタートです。選手もギャラリーもグッと緊張感が高まる瞬間。
今回、僕は音響スタッフとして参加しました。ミキサー見てると目がグルグルしてくる病ですが、なんとかこなせました。
撮影隊長はHIDEちゃんですよ。もう世界を飛び回る人気フィルマーですからね。やっぱり写真や映像を嗜む者としてはどういう機材を使っているのか気になるところ。
こちらは豪華賞品であります。個人的にこの中のどこかにそーっと千円札埋め込んでおきましたが、入賞選手はみつけたかな?うふふ。
コンテストの間は結構自分の持ち場に真剣だったので写真がない。詳しくはelementのサイトでチェックしてみて。で、コンテスト終了後はelementの最新映像のプレミアを行いました。
そしてドキドキの瞬間。
海くんがでっかくなってて驚いた。賞品がいっぱい過ぎるのもうれしいけどポロポロ落ちるので困るね。常勝選手はいかにいっぱい賞品を落とさずニコヤカに記念撮影ができるか、ってスキルも磨いてみてください。
最後はプレゼントタイム。これいいよね。コンテストではいつも終わり際にはこういうプレゼントタイムがありました。協賛メーカーからのステッカーやtシャツとか配ったり、選手が乗っていたデッキを投げたりしてました。すっげー楽しかった。でもいつしかなくなりました。なんでか知ってる?実はあるコンテストで「地元のコンテストでデッキとか投げられると****の**が下がる」とクレームが入ったことがあったから。ガクっとしましたが、それもまた現実です。
リザルツはこちら。正直なところ、僕の予想と大きく違いました。それもまたコンテストの醍醐味であります。
で、また別の日。今度はAJSAのASIAN OPENに参加するため、成田空港へ。国際線ってかなり早くスタンバるので待ち時間が多いのよ。最近はメール添付のadobeとかを出張先で開くことも増えてきてPCを持ち歩くようになりました。空港ではほぼラウンジで映画見てます。
このコンテストは今年で3回目の日韓合同開催のコンテスト。僕のレポートはほぼ趣味的な偏向的なものなので、オフィシャルのレポートはAJSAオフィシャルサイトから。
で、かなりはしょって入国検査。このソウル便ってのが約2時間のフライトで、離陸してちょっとしてから観れる映画が最後まで見れない。今回はSTARWARSの最新版をジッックリと。映画館で観たけど見直すとやっぱりなにか気付く。好きな映画はなんども見るタイプですが、何度見ても好きな映画は面白い。MADMAXは6回観た。それにしてもこの入国審査の列。過去一番の長さでした。
珍道中ですのでやっぱり色々事件が起こります。機内にパスポート忘れたとか、両替しないで使える現金持ってない、とか。instantsタイホーはかなり落ち着いた様子。「スーツケースかっけーじゃん」って言ったら「おばさんのです」って。人のバッグにステッカー貼りすぎ。
ソウルの高速は楽しいのよ。韓国は日本車が全然いない。韓国製の車とドイツ社がほとんどでたまにアメ車。日本も同じようなものですが、高速道路を走る韓国車を見ていると、実にマーケティングが日本のブランドに似ているのです。走る韓国車を見て「あれはクラウンの位置付けだな」とか「あれはビッツだな」とか。現代(ヒュンダイ)はもうモロにトヨタのブランディングと同じ。唯一違う感じがしたのはミニバンですね。日本のノアくらいのワンボックス車の需要が少ないのかあんまり走っていませんでした。バンはもっとデカイのばっかりその辺はアメリカ感覚な感じがしました。スケボーは全く関係ないです。
街に着きました。大きな大学が真裏にあるコンドミニアムで、僕は中島壮一朗と相部屋です。壮一朗がまたキッチリしている男でして、もう荷物のパッキングからしてマメなのです。部屋の風呂はシャワーのみ。ま、一回目の合宿水道シャワーに比べればお湯が出るだけ天国ではありますが、ユニットバスの湯船がないので、シャワー使うとトイレもビショビショ。あれ絶対に非効率的だよね。ま、郷に入らずんば郷に従えってことで、なるべく同室の相手に不快な思いをさせないようにする壮一朗の愛を感じました。僕もどちらかというとせっかちで細かいヤツなのですが、実に壮一朗との相部屋は気持ち良く過ごせました。たくさん気を使ってくれたのでしょう。ありがたし。昔、旅好きの大学生の時に行ったタイやインドのドミトリーの無遠慮っぷりにもカルチャーショックを受けました。人の物を盗むのは盗まれるのが悪い、自分がそうでないとしても周囲の「臭い汚い」のに慣れないとバックパッカーはできません。壮一朗と過ごした4日間は一度も嫌な思いをしませんでした。ナショナリズムのシンパシーって素敵ですね。もし嫌な思いをさせていたらごめんなさい。
個人的に困ったのはコーヒーでした。チヒロックのおかげさまで色々なコーヒーを飲んで自分の好みがわかってきた頃でして、元々甘い缶コーヒーは苦手ですが、ファーストフードの薄いコーヒーもあんまり得意ではありません。日本ではコンビニのコーヒーで十分満足できるコーヒー初心者ではありますが、ソウルはそういうコーヒーが全然ない。昼間の繁華街のカフェにはいっぱいありますが、早朝や夜の街では普通にコーヒーを探すのがけっこう大変。コンドのちょっと先にドリップしてるコーヒー屋さんを一軒発見し、滞在期間は毎朝お世話になりました。ちなみに好みはコロンビアやモカのように酸味があるストレート。ボディがなんとか、ってヤツはまだあんまりよくわかりません。
コンドから会場に移動するのもちょっとした祭りであります。今回は約40名くらいの選手が参加する大所帯。小学生からおりますので現地スタッフのケアっぷりハンパなし。ま、現地スタッフというか園くんなんですが。切符の買い方、電車の乗り方、降り方、目的地への行き方、コンビニの行き方、もう手取り足取りのアテンドっぷり。さすがです。情熱大陸です。熱い想いがあってこのコンテストをディレクションしているので、こういうケアから熱意がにじみ出ているのです。
もうこんなですから。スケボー持った日本の悪ガキが40人編成で駅地下道を闊歩するのです。みんなガン見ですよ。現地のおばちゃんやカップルもただならぬ違和感を感じていたに違いない。ま、僕らは滑りたくって滑りたくって、とにかく早く現地に! って心境です。
ここが今回の会場カルトパークであります。東大門のちょっとはずれにある公園で、昔は兵士の訓練場だったそうです。近年、若者が使えるように整備され、スケートボードやインラインが楽しめるように、大きなセクションまで導入された経緯があります。今回はコンテスト用に新しくセクションが追加され、かなり面白い感じになりました。
ざっくりと現地をチェックして「さあランチじゃ」ってことで東大門の繁華街へ。ここはアパレル問屋を中心にファッションマーケットが並ぶ大きな商業地。綺麗なファッションビルと上野のガード下のような雰囲気がごちゃまぜになった素敵な街です。僕は初めての街は足がガクガクになるまで歩き回る習性がありまして、前回の訪韓の際に東大門がかなりうろつき回っていたのもあって、ちょっと行きたいところにいける感じがうれしかったのであります。
ハングル語は全く読めないので、こうやって観光地の日本語表記には助かります。思ったよりも街では英語が通じなくて、日本語の方がちょっと通じるかも、って感じ。若い人たちは英語を話せる人も多く、今回もASIAN OPENってことで英語のMCでコンテストが開催されるということでした。いろんな料理食べますが、やっぱり基本はコンビニなのね。もうそれはずっと前からのスケーターの習性でありまして、旅の間はなるべく現地食で行きたいところですが、今回もコンビニのサンドウィッチ2回。タコベルのセット1回、ロッテリアのハンバーガー1回、と全くダメダメないつも通りの旅でした。
この肉肉しい感じ凄いすね。ソウルではおばちゃんが全部焼いて切って食べ方まで教えてくれます。ま、僕はハングルでわからなかったけど「肉食べるじゅせよ」という情熱は伝わりました。ま、手練れの先輩たちもいっぱいですので、この日の僕はマイペースで食事を楽しめました。チャミスルアタックはハンパなく、チャミスルをビールで割って飲む、みたいな、毒を持って毒を制すという流れ。ま、美味しいんだけどね。初めて味わうバナナマッコリなども混ざって、後半はちょっと記憶ない。
で、ついに当日。まずはタクシーで東大門へ。ソウルのタクシーは安いです。電車の初乗りを4人分で十分タクシー乗れる。むしろタクシーの方が安い。でも英語も日本語も通じない。僕はgoogle翻訳で「右に曲がって」ってiphoneに言っている間に交差点を直進され、「やっぱり簡単なことだけは話せた方がいいね」って実感しました。
セクションも増え、ちょっと重たい雲を見上げながらコンテストの準備が着々と進んでいきます。
もう選手は滑りたくてしょうがない。日韓入り乱れての練習風景。
なんとか用意が終わり、コンテストがスタートし、程なくして無情の雨がポツリポツリと。このイベントvs雨の戦いは僕のMC歴の中でもかなりの名勝負がありまして、会場のスタッフや選手が一丸となって復旧作業に向かう熱量で結果がかなり変わってくるのです。
選手たちはテントに入って雨から避難。奇跡的に会場が復旧してコンテスト再開したのですが、なんとまさかの雨再び。
僕は一度諦めました。気合い入ってスタート➡️雨で消沈➡️奇跡の復旧でぶち上がり➡️再度の雨で完全鎮火という流れ。多くの方が同じ気持ちだったかもしれません。でもね、現地のHEAPSのシンが激アツでした。「僕はひとりでもやります」と雨の中モップを持って復旧作業に取り掛かりました。周りのスタッフにも飛び火していつの間にか会場全体が復旧作業に。そしてなんと雨も上がり、コンテスト奇跡の再開、って流れ。僕のMC歴では二度の雨から復旧再開したのは初めてです。
僕は日本向けのネットTVの生中継の実況でした。実況っていってもモニターやヘッドホンもないので、自分がどうなっているのか全く分からない状況で、解説の壮一朗とタッグを組んでトークの応酬。また壮一朗が的確なジャブを打ってくるのでキャッチするのも真剣でした。生中継って失敗できない割にはVでずっと残るので個人的にはちょっと緊張するパターン。
これが生中継用のカメラです、普通のHDカメラに見えましたが、なにか特別な仕様になっているにちがいない。
はい、こちらがリザルツ。2020年の東京五輪に向けて、女子クラスは女子で表彰することになりました。女子チャンス。まじチャンス。東京五輪は関係なく、コンテストに出てみようって理由になるじゃん。女子結構いるのにコンテストシーンには全然出てこない。昔に浅草ロックスで女子だけのコンテストのMCしましたが、当時の女子も上手な子がいっぱい居ました。みんな元気かね。ま、それはいいとして、女子チャンス。まじチャンス。ちゃんとコンテストに一回出てみて欲しいす。楽しめるのもスキルです。
コンテストが終わってなんだかすごくホッとする自分が居ました。この感覚は普段のコンテストでは感じない感覚でした。気付かずに責任感を感じていたのかもしれません。雨でなんども中断されるストレスで疲れたのかもしれません、ひとりでプラプラしてなんだかお腹がすきました。
コンテストスタッフで食事に向かいました。この日ばかりは選手抜きでスタッフ飲み。ま、選手はすぐ外の商店街をプラプラしてるんだけどね。入ったチジミ屋さんのお通しで出たこちらにまじビビりでありました。ホワイト西川もブラック横山も普通に食べちゃいます。5050カレーも全然平気。hibiridダイちゃんもホワイティーに「食べてみたらわかるけど全く問題ないよ」って言葉を信じてやっつけました。で、この流れ。僕も食べない訳にはいかないじゃん。ブラッキーに「本間ちゃん、見た目にとらわれちゃダメだよ」って神のお告げ級のアドバイスを頂きまして、もう逃げも隠れもできない状況に。食べましたよ。ひとつポイッと。死んじゃうかと思ったけど、噛んだら以外といけました。確かに好んでは食べませんが、鳥肌立てながらだったら3個くらいまでいけるかも。そして全員の視線はIFOプロデューサーのプロライダー中島壮一朗へ。
どうなったかは本人に聞いてください。
なんとブラッキー先輩は3泊4日中、3晩が朝まで飲み、って毎日じゃん。体力すげー。僕はさすがに最終日は寝るというか気絶でありまして、翌朝早朝にはノドがカラカラで目が覚めて、壮一朗を起こさないようにそーっとコーヒーを買いに出かけました。
最終日は飛行機の時間までシンがパークに連れて行ってくれることになっていて、荷造りして出発です。
着いたパークの側には室内スキー場や温水プールがあって、かなりスポーツ漬けのエリアでありました。この日はtacobellはやめて、misoyaのカツカレーで望郷しました。以外と日本食って食べれるところが少なく、あっても高価なケースが多くて、一番欲しかったのは松屋、次はちゃんとしたラーメン屋、そしてコンビニドリップコーヒー。
misoya良かったすよ。カレーちゃんは蕎麦、ホワイティー先輩はカツ定食にしてました。
プールも結構楽しそうだった、っていうか僕はこっちの方が良かったかも。
いやいや、僕らはスケボーです。がっつりデッキを小脇に抱え、パーク入り口でラインを探します。
プラプラした公園ではたくさんのスポットを発見するも、あとちょっとのシチュエーション不足や人通りなどのタイミングから、好きに撮影もできないのよ。でもやっぱりそいうのはタイミングね。カメラマンがカメラ持ってる、ライダーやる気、スポット極上、じゃあ撮影するか、って流れ。間違いないすね。金盛良いのでてました。
お土産買いに行ったスーパー周りが結構栄えておりました。
そして帰国の途へ。やっぱり最終食事はこういうの。食べたくても街で一人じゃなかなか勇気いるからね。
こうやってまたコンテストを開催できたのは、実はよあそび工務店構成員のシンと、日本と韓国をつなぐ園くんのおかげさまです。
また来年も行きたいすね。来年の今頃はどうなっているかもわからないシーンが、スケートボードの魅力そのものなのであります。自由、オリジナル、スタイル、がずっとスケーターたちが追いかけてきたキーワードなんです。ゴゴゴって音を立てて変わっていくシーンがどうなっていくか見ものじゃないですか。そういうタイミングにこのシーンの端っこに居られるのはすごくありがたいことだと思ってます。全力で楽しみたい。
次の祭りは7月3日。AJSA関東アマチュアサーキット第二戦。千葉市川UNION PARKでの開催です。アマ戦では僕がMCするのは全日本を除きここだけです。アマチュアクラスはシーンの「今」と「これから」が詰まってます。また勉強させてもらいます。
今日はGo Skateboarding Dayでした。
まだの人はすみやかにスケートボードをはじめましょう。
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