『家中どこでも好きなところに行きなさい』と言って頂き、バスケットコートやコンクリートボウルがある入口だけでなく、リビングもダイニングも寝室やバスルームも全部見せてくれました。ストリートカルチャーの宝物が山盛りのリビングではKAWSやMEDICOMの見たことないモノばかり、また数々のNIKE SBの名作のサンプルやロンチされなかったモデルなど僕には眩しいものばかりでした。邸内遠足が終わるとダイニングにはピザとビールとワインの山と、後日各国のショップに送ってくれたLANCE手書きの作品が並べられ、はじめて会ったOSKIやDAANがボウルを攻めるのを見ながら世界中から集まったショップの代表と乾杯しました。前日にキャタピラーで登頂したMt Hoodの山小屋で猛吹雪の中開催されたワークショップ『オリジナルJanoskiを作ろう』で、アメリカ、ヨーロッパ、APLA(アジアパシフィックラテンアメリカ)のグループに分かれてコンペを行い、その結果はサンディさん宅で発表されました。審査員はコストンにランスにジャノスキー本人も。ブラジルのPersioさんが発案の僕らのチームで練り上げた『Sushi Janoski』がコンペで勝たせてもらってAPLAチームで乾杯しました。サンディさんが逝去されたのを聞いたのは帰国後しばらくしてからでした。なんだか一人で泣きました。初めて会ってたった一度のコミュニケーションしかありませんでしたが、僕の感謝の気持ちをサンディさん本人に直接伝える事ができて本当に良かった。今でも心から尊敬し感謝してます。そのサンディさん宅のexhibitionが開催されます。予約制ではありますが、チャンスがありましたらぜひご覧頂きたいと思ってます。