Bobby Puleo 2回目

こんにちは、店長です。

大好きなスケーターがviceのEpicly Later’dでしれっと紹介されていたので載せてみます。

ストリートゴミ拾いおじさんのBobby Puleoです。去年も紹介したけどやっぱ好きだから失礼します。

主にアメリカ東海岸を拠点にストリートスケートをもはや哲学的なほど追求したスケーターです。

どういった経緯でそのようなスケーターになっていったのかを新旧様々なスケーターのインタビューなどを絡めつつ進行していきます。観たことないスケートクリップもちらほらあって個人的には見応え十分。

HUFのDick Rizzoが受けた影響やHABITATのMark Suciuなどとの関係も面白いです。

彼のライフスタイルを見ていると、自分を含め、いつ、どこで、誰が、何をしたのか、それによって何が起きるのかを深く見つめて自分なりに解釈しようとしているように感じます。

それはスケートボードの世界でならある程度のスケーターはしていると思いますが、同じ文脈で街中に落ちているゴミにそれを照らし合わせて彼なりの解釈で美しく並べ立てる作業がめちゃくちゃ興味深いです。

それはまるでスケートビデオを作っているみたいな行為で、同じ街に毎日違うゴミが落ちていて、そのゴミたちには本当は一つ一つのストーリーがあります。誰が、なんで持っていて、どこでそれを落としたのか、または無くしたのか。

それらを拾い集め、綺麗に種類分けして並べて額に飾ることでそれらは芸術作品になるのです。偶然に落ちているゴミを探しにストリートスケートしに行くその様はまさに新たなスポットの開拓や発見、それらを面白いとか美しいとか格好良いと感じ、思わせる作業。スケートビデオを作ることと同じなのではないか。と感じています。

作品を作りながら自分はスケートできるし、しかもゴミ拾い自体は悪いことではないという一石三鳥感。 その発想に震えます。 まぁたまにゴミ箱から漁ったり、ゴミ拾いしている人のチリトリの中まで探っていますがw  

もし、自分が宝くじとか当たって沢山お金を手に入れたら、彼に出資して彼の思うがままにそのアートを表現する場を提供したいと昔から思っています。もしかしたらその行為自体が彼にとって冒涜になってしまうかもしれないので、良いか悪いかは謎ですが…。

なんで誰もそれをしていないのか不思議です。そのくらい凄いことをしているように思います。

スケートボードなんて、何の意味もない壮絶な時間の無駄で、破壊行為で、ゴミみたいなもんなのです。でも、それだから良いのです。

意味のあるものに美しさや価値を求めることは本当は大した意味が無いのです。

意味のないものこそ価値がある。それは誰にも奪えないし、誰にも傷つけることのできない宝物になって自分の存在が無くなるまでずっと一緒に居れるのです。

ちょっと矛盾を感じてしまう部分があるかもしれないけど許してください。

意味があることには意味がなくて、意味がないことには意味があるということはぐるぐる回り続けちゃうんですよね〜。

ずっと前になにかのインタビューで「スケートボードとは偶然を産み出す練習みたいなもんだ。」と言っていた気がします。多分。確か。もしかしたら夢かもしれないけど…。

今でもずっと自分の心にそれが引っかかっています。

そんな風にスケートできたのなら、きっとそれはスケートだけじゃなくなるのだろうなと。